堀内氏久

(ほりうちうじひさ)

生没年:1595〜1657年/ 身分:豊臣軍の部将/ 官位(通称、号):主水

新宮城
氏久のいた新宮市にある新宮城跡

 父は堀内氏善。母は九鬼嘉隆の養女。氏善の三男とも七男とも言われている。新宮行朝の弟とも甥とも言われている。大坂の陣が起こると大坂に入城し、1615年5月7日の大坂落城の際に落ち延びる千姫の護衛をし、徳川軍の中で知り合いだった坂崎直盛の陣に行き彼女を引き渡した。この功で命を助けられ下総国内で500石を与えられ旗本となる。1657年8月20日死亡。京都の天寧寺に葬られた。

管理人・・・千姫の護衛についただけで旗本にまでなっています(しかも兄の新宮行朝までが助かっています)。家康達はよっぽど彼女が助かったのが嬉しかったんでしょうね。

参考文献:熊野新宮城堀内家と其の一族・寛政重修諸家譜

UPDATE 2002年8月2日
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