仙石秀範

(せんごくひでのり)

生没年:不詳/ 身分:豊臣軍の部将/ 官位(通称、号):宗也斎・豊前守

秀久の墓
長野県上田市常磐城3−7−48の芳泉寺にある父・秀久の墓

 幼名・権兵衛。久倫とも。仙石秀久の息子。仙石忠政の兄。1599年に大老連署で三千石を与えられ豊前守に任ぜられる。関ヶ原の戦いで西軍に属して浪人し、後に出家し宗也斎と名乗った。1612年に廃嫡。浪人中は京都で寺子屋を営んでいた。
 1614年に大坂に入城。冬の陣では兵2000を与えられ真田丸後ろと二の丸西中央を守備する。夏の陣では大坂城北側を守備するが、敗北必至となると丹波に逃亡。その後の消息は不明である。しかし十歳になる息子は伯耆で捕らえられ、1615年6月22日に六条河原で乳母の子供と共に斬られ晒し首にされた。

管理人・・・長宗我部盛親といい、寺子屋の先生って大名が浪人になるとする定番の職業だったんでしょうか? 大名は教養があるからぴったりの職業だったのでしょう。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版大坂の役戦国武心伝

UPDATE 2001年8月24日
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