第38章:政権

 領土拡大が主要だった土佐統一戦、四国平定戦の頃の長宗我部氏は武力や戦略に優れた一族や家臣を重用し要衝に配置。軍代には阿波方面は三弟・香宗我部親泰が、伊予方面は次弟・吉良親貞(親貞亡き後は久武氏)が任ぜられたという。讃岐方面は讃岐西部を支配していた香川信景と養子に入った次男・親和が中心となっている。
 しかし四国征伐で土佐一国だけとなり、それ以上の領土が望めなくなると内政で力を発揮できる人物が重用され、久武親直谷忠澄、豊永勝元、非有など奉行人が政権の主流となった。親直や忠澄は四国平定戦から引き続き重用されたが、その他に戦いで活躍した桑名氏や吉田氏などは地位は高かったものの政権の中枢から外れている。
 一族の重鎮だった親泰は朝鮮出兵の際に留守を任されるなど変わらぬ地位を保っていたが、親泰が亡くなり幼い親和が継ぐと香宗我部氏も重用されなくなった。

UPDATE 2012年11月9日
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