久武親直(生没年不詳)

官位・通称:内蔵助・彦七
 久武親定(昌源)の次男。久武親信の弟。早くから長宗我部家の中で才能を注目されていた。1579年に親信が戦死すると遺領を継ぎ土佐佐川城主となる。
 長宗我部元親の信頼厚く、阿波戦線では中富川の戦い・勝瑞城攻めで活躍。1584年、親信の跡を継いで伊予軍代となり、西園寺公広の居城・伊予黒瀬城を落とす。同年、東予の金子元宅と起請文を取り交わしている。
 戸次川の戦い後、長宗我部家の家督相続の問題が起こると長宗我部盛親の家督相続を支持。豊臣政権化では長宗我部氏の筆頭奉行として国政に参画した。
 関ヶ原の戦い後の津野親忠殺害に関わったといわれているが定かではない。盛親の改易後は肥後の加藤清正に仕えた。息子・千助は加藤家が改易されると浪人したが、新しく肥後の大名となった細川家に仕えている。

高知県高岡郡佐川町甲松尾山にある松尾(佐川)城
松尾(佐川)城
UPDATE 2012年4月26日
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