四階楼(和洋折衷の建物)

●四階楼
住所:山口県熊毛郡上関町室津868-1
駐車場:あり

 国指定重要文化財。明治12年(1879)、奇兵隊で活躍した元長州藩士の小方謙九郎が、当時の金額で3,000円をかけて建築した。この頃、謙九郎は回船問屋を営んでおり、上関町を訪れる人々のための迎賓・宿泊施設として利用することを目的としていた。
 名前の通り、木造四階建の建物で、四階の四方の窓にはフランス製のステンドグラスが入っており、天井には鳳凰漆喰彫刻が施されている。三階の壁には唐獅子牡丹の漆喰彫刻があり、和洋折衷の意匠となっている。広島や大阪などにも同様の建物があったとされるが、現存するのはこの四階楼のみである。
 平成3年(1991)まで旅館として営業されていたが、同年、上関町に寄贈された。

(全景)
全景

(内装)
内装

内装

内装

内装

内装

内装

内装

内装

内装

参考文献:四階楼のパンフレット、山口県観光/旅行サイト おいでませ山口へ文化遺産オンライン

感想:上関町で時間が余ったので行ってみました。内装が見事なので向かいの道の駅に寄った際には訪れた方が良いと思います。ちなみに入場無料です。



旧上関番所(上関御茶屋跡)

●旧上関番所
住所:山口県熊毛郡上関町長島629(字 稲荷山)
駐車場:なし

 県指定有形文化財。旧上関番所は寛永9年(1632)に萩藩が国境や主要な港に設けた見張り所であり、積荷の検閲や運上銀の徴収を行っていた。初めは長島の四代地区にあったが、上関港に中心が移っていき建物も老朽化したため、正徳元年(1711)に上関に移転された。平成8年(1996)には移築復元されている。
 町指定史跡の上関御茶屋跡は、参勤交代の際に長州藩主の通船の宿泊・休憩の場として、また朝鮮通信使の接待のために設置された。朝鮮通信使の使節団は計12回宿泊している。明治3年(1870)に解体された。

(唐人橋跡。朝鮮通信使が上陸した際、仮設の桟橋を造った。それが唐人橋と呼ばれた)
唐人橋跡

(上関御茶屋正門石垣)
石垣

石垣

(上関御茶屋跡)
茶屋跡

茶屋跡

(上関御茶屋跡に隣接する旧上関番所)
旧上関番所

旧上関番所

旧上関番所

(旧上関番所から見た港)
港

参考文献:山口県の地名、現地の案内板、山口県公式ウェブサイト

感想:観光地なので駐車場を用意してほしいです。自分が行った時は地元の方の好意で空き地に駐めさせてもらいました。



大多満根神社(周防大島の総鎮守)

●大多満根(おおたまね)神社
住所:山口県大島郡周防大島町西三蒲10-1(字 明神)
駐車場:不明

 主祭神は大多満流別命(おおたまるわけのみこと)と塩土老翁命(しおつちおぢのみこと)である。飯野山の麓に鎮座している。もともと飯野山の山頂に建てられ、欽明天皇の時代(西暦550年頃)に古明神という場所に移転した。その後、昭和18年(1943年)に現在地に移転する。
 近世になると三度、再建が行われた。近世まで一宮大明神、島根明神、富士見神社と称していたが、明治初年に大多満根神社と改称された。周防大島の総鎮守、海難守護の神として崇敬されている。
 境内には般若塔があり、次のような伝説が伝わっている。豊後の玉田(大分県豊後大野市三重町玉田ヵ)の長者に、般若姫という美しい姫がいた。この噂を聞いた欽明天皇の皇子・橘の豊日は密かに豊後を訪れ、般若姫と愛を誓い合った。しかし、橘の豊日が都に呼び戻されたため、般若姫は後を追った。しかし大畠瀬戸(周防大島と本州の間にある瀬戸)に来たところで、海が荒れて潮が渦巻き、進むことができなくなってしまった。その時、大多満流別命が現れ「竜神が般若姫を望んでいる」と告げたため、般若姫が海に身を投げたところ海が凪いだという。その後、海上安全を祈願して五重の塔が建てられた。この伝説にはさまざまなバージョンが存在する。

(鳥居)
鳥居

(石段)
石段

(社殿)
社殿

社殿

(般若塔と末社の般若姫社)
般若塔

般若姫社

(境内から見た周防大島と柳井市を結ぶ大島大橋。昭和46(1971)年に大多満根神社で起工式が行われ、昭和51(1976)年に完成した)
大島大橋

参考文献:山口県の地名、山口県神社誌、周防大島町誌、現地の案内板、大分県地方史 第121号

感想:周防大島の玄関口にあるため、訪れた時に最初に参拝しました。