岩松寺(菅沼定忠の墓)

住所:静岡県湖西市新所208

 曹洞宗。1619年、源智によって草庵が開かれたと伝わる。1682年、岩松寺となる。本尊の千手観世音菩薩は子育て観音として知られ、1822年、瀕死の状態だった子供のために母親が仏に祈ったところ、千手観音が現れ子供の体をさすって病が癒えたという。

(山門)

(六地蔵)

(本堂)

(菅沼定忠の墓。定忠は奥三河の豪族で桶狭間の戦い後に徳川家康に属した。しかしのちに武田信玄に降る。長篠の戦いで武田家が敗北すると家康に攻められ長野に落ち延びたが、1582年に武田家が滅亡すると家康に降る。だが許されず殺されている)

感想:定忠の墓の周りには無縁仏と水子供養の墓がありました。


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正太寺(宇津山城主の供養塔)

住所:静岡県湖西市入出800

 曹洞宗。遠州三十三観音霊場第二十五番札所。

(入り口)

(弁財天を祀る堂)

(本堂)

(地蔵)

(宇津山城主の供養塔)

感想:正太寺近くの道から車で宇津山城に登っていけます。宇津山城には駐車スペースもあるのでご心配なく。


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宇津山城(東三河攻略の拠点)

住所:静岡県湖西市入出

 1507年、今川氏親が遠江・三河国境の監視と攻略の拠点として築城したといわれる。当初、曳馬城(のちの浜松城)にその役目を担わせようとしたが、城の規模が小さく浜名湖もあるため当城を築いたという。
 桶狭間の戦い後、徳川家康が今川家から離反し東三河を手中に収めると遠江への攻撃を開始。当城も1569年に家康の手に落ち、家康の家臣・松平家忠が入り拡張工事を行なった。
 城は正太寺を挟んで東西に別れている。

(曲輪の石垣)

(曲輪の石垣2)

感想:遺構近くまで車で登ることが出来るため山城にしては楽でした。


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