2012年静岡市お墓巡り(その6:寿桂尼・源応尼・市姫・お久の方の墓)

9.龍雲寺・・・葵区沓谷3-10-1。曹洞宗。今川氏親の妻・寿桂尼の菩提寺。本堂の裏手には静岡市指定史跡の寿桂尼の墓があるが、後北条氏に仕えていた本間家の墓ともいわれている。
感想:ということで寿桂尼の墓については真偽の程は不明。

(本堂)

(伝・寿桂尼の墓)


10.華陽院・・・葵区鷹匠2ー24ー18。浄土宗。知源寺という名だったが、1609年に徳川家康が祖母・源応尼の五十回忌の際に源応尼の法名である華陽院に改めた。参勤交代でここを通り過ぎる大名は当寺に参詣するのが通例となっている。
感想:静岡駅の裏。交通量が多く一方通行もあって車で行くには大変だった。駐車場はあるので、そこは問題ないのだが。

(本堂・・・だと思う。近代的)

(源応尼の墓。家康が今川家の人質時代に世話役を任されていた。当寺の隣に源応尼の寓居があったという)

(家康の五女・市姫の墓)

(家康の側室・お久の方の墓)




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2012年静岡市お墓巡り(その5:朝比奈泰勝・岡部元信・孕石元泰の墓)

7.大正寺・・・駿河区大谷3660-1。曹洞宗。
感想:この時は食後で眠かったことしか記憶にない・・・。

(本堂)

(今川氏真の家臣・朝比奈泰勝の墓。大坂の陣絵巻に載せている朝比奈泰倫と同一人物と思われる。墓は共同墓地の中腹に建っている)


8.本覚寺・・・駿河区池田1379。日蓮宗。日位が1308年に開基した。徳川幕府からの保護を受け隆盛を誇った。第五十五代総理・石橋湛山が青年時代にここで過ごしている。
感想:孕石氏は別の場所に墓があったらしいのだが・・・。まあいいや。

(山門)

(参道)

(鐘楼)

(本堂と日蓮の像)

(岡部元信・孕石元泰・孕石元成の合碑墓。元信は桶狭間の戦いの際に今川義元の首を持って帰ったことで知られる。元泰は今川家の家臣で徳川家康の幼少期に罵ったため、高天神城で捕らえられた際に切腹させられた。その子・元成は山内一豊に仕えている)




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2012年静岡市お墓巡り(その4:徳川信康の供養塔・榊原清政の墓)

5.江浄寺・・・清水区江尻東3-6-6。浄土宗。徳川信康に仕えていた榊原清政が久能城主に任ぜられた際、信康の遺髪を当寺に葬っている。参勤交代でここを通り過ぎる大名は当寺に参詣するのが通例となっていた。
感想:位牌を見せていただきました。

(岡崎三郎信康候御宝塔)

(恋塚。肥前平戸藩主・松浦隆信の弟・松浦成清は、肥前大村藩主の娘・春姫(真珠姫)と婚約していた。しかし江戸から国元に帰る隆信が春姫を側室にしようとしていることを知った成清は無断で後を追う。隆信に追いついたものの成清は勝手に江戸から出た罪で、1624年5月に江浄寺で自害させられた。墓は縁結びの恋塚とされていたが所在が不明になってしまったため、2005年に恋塚が再建されている)

(本堂。葵の御紋が入っていた)


6.宝台院別院(旧・照久寺)・・・駿河区安居291。浄土宗。榊原康政の兄で久能城主だった清政の墓がある。
感想:駐車場はあるが久能山の近くを通るため交通量が多く苦労した。

(庭園。タイトルは『光と風と海』)

(本堂。後ろに見えるのが久能山)

(榊原氏墓群。榊原家は代々久能山の警護を務めた)

(榊原清政の供養塔。清政は信康が亡くなった後、職を辞して蟄居し弟のもとに身を寄せている)

(別の寺から移転された榊原清政の墓)

(清政の次男・照久の墓。遺言により久能山の方向を向いている)

(戊辰戦争戦没者の墓)


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