伊勢亀山城

住所:三重県亀山市本丸

 1264年、関氏が亀山古城を築城。関氏は一度、織田信長によって城を追放されるが、小牧・長久手の戦い後、城主に復帰した。しかし関一政は蒲生氏郷の与力として陸奥白河に移封。新たに入った岡本氏が城を現在地に移転した。
 関ヶ原の戦い後に関氏が再び亀山城主となるがすぐに移封され、それから城主が何度も変わる。最後は石川氏が入り明治維新を迎えている。当初、天守があったものの1632年に堀尾忠晴が丹波亀山城と間違って解体してしまい、以来天守は建てられなかった。
 現在は公園として整備されており、天守台跡に建つ多門櫓が三重県で唯一現存する城郭建造物として保存されている。

(多門櫓)

(城址碑)

(大久保神官邸宅門)

(三重櫓跡)

(水堀跡)

(亀山古城(若山城))

コラム:間違えて天守を解体した話ですが、小藩の亀山藩には不釣り合いということで幕府が意図的に解体させたという説もあります。



伊勢神戸城

住所:三重県鈴鹿市神戸本多町

 伊勢亀山城主・関氏の一族である神戸氏が天文年間(1532~1555年)に築城した。神戸氏は北伊勢で力をふるったが、侵攻してきた織田信長に降伏。三男・信孝を養子として和睦した。本能寺の変後、信孝が岐阜城に移りで羽柴秀吉と対立して自害させられたため、織田信雄の家臣が入る。しかし小牧・長久手の戦いで羽柴軍に奪われて生駒親正に与えられた。
 その後、滝川氏・水野氏・一柳氏が城主となったが、一柳氏が移封となった後、天領となったため、城は破却され櫓などは桑名と亀山城に移されてしまった。その後、石川氏・本多氏が城主となり明治維新を迎える。現在は建物は壊され大半は神戸高校の敷地となっているが、本丸付近は公園として整備されている。

(城趾碑)

(天守台の石垣)

(馬場)

(最後の城主・本多氏を祀る本多神社)




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千種城(千種氏の居城)

住所:三重県三重郡菰野町千草城山

 後醍醐天皇に仕えた千種忠顕の息子・顕経が築城。その後、千種氏はここを拠点として三重県北部で栄えたが、戦国後期に衰退。最後の城主・顕理が大坂夏の陣で戦死して滅亡している。

(土塁)

(本丸跡)

(碑)

(碑の上にあった鷹のオブジェ)

コラム:碑の大きさにはとにかく驚きました。戦前に忠臣として崇める意味もあって建てられたからでしょう。鷹のオブジェは何の象徴なのか分かりませんでした。こういったものがある碑は、ここ以外では見たことがありません。




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