住所:三重県津市寿町5ー24
津藩二代藩主・藤堂高次が昌泉院を創建したのが始まり。のちに高虎の号から名前を取って寒松院と改められる。藩主の菩提寺として厚い保護のもと興隆。明治維新後もこの地方の中心的寺院だったが、太平洋戦争の空襲で建物が焼失してしまい、敷地も縮小されてしまう。現在も藩主歴代の墓は残っている。
コラム:残っているお墓は圧巻です。津城に行った際はついでに寄ってみてください。
住所:三重県津市寿町5ー24
津藩二代藩主・藤堂高次が昌泉院を創建したのが始まり。のちに高虎の号から名前を取って寒松院と改められる。藩主の菩提寺として厚い保護のもと興隆。明治維新後もこの地方の中心的寺院だったが、太平洋戦争の空襲で建物が焼失してしまい、敷地も縮小されてしまう。現在も藩主歴代の墓は残っている。
コラム:残っているお墓は圧巻です。津城に行った際はついでに寄ってみてください。
住所:三重県津市丸之内
織田信長の弟・織田信包が築城。1580年には五層の天守・街が完成した。1595年、富田氏が城主となる。関ヶ原の戦いでは西軍3万の攻撃を受けながらも善戦したが、高野山の木食上人の調停で開城。1607年、富田氏が改易され藤堂高虎が城主となると城は大改修され街も整備された。以後、藤堂氏は移封も無く明治維新を迎えている。
明治時代に名古屋の商人が建物を千円で購入。取り壊し木材を名古屋に持ち帰っている。現在は堀の大部分も埋め尽くされて、わずかな堀と1958年に再建された角櫓があるのみである。
住所:三重県津市河芸町上野
1570年、織田信長の弟・信包が津城の仮城として築城。1580年に津城が完成すると普請奉行・分部氏が城代となり、1595年には1万石を与えられ独立大名となった。関ヶ原の戦いの功で1万石を加増され2万石の大名となったが、1619年に近江の大溝へ移封され廃城となる。現在は青少年公園となって整備されている。
コラム:標高30メートルの場所にあるため、昔は本丸から伊勢湾が一望できたんだそうです。今は木が邪魔をして展望台に登らないと見ることができません。