平氏発祥伝説地(忠盛塚)

住所:三重県津市産品

 忠盛塚とも呼ばれる。清盛の父・忠盛が生まれた場所だという。伝承は数多く残っているが、文献での立証はされていないため伝説地と呼ばれている。

(発祥伝説地全景。中央が平氏発祥伝説地の碑)

(平刑部卿忠盛公誕生塚の碑)

(由緒でも書いてあるのだろうが、ところどころ文字が消えていて内容が理解できなかった)

(ナギ。かつて熊野三山造営奉行だった清盛の息子・重盛が熊野速玉大社に植え御神木になったことから熊野詣での人達の目を引きつけ各地に植えられたのだという。このナギは町内の方から寄贈されたもの)

(1917年に建てられた忠盛塚。石は近くに建つ置染神社附近の古墳から出土したものだという)

感想:大河ドラマに併せて建てられたと思われる「平氏ゆかりの地 津市」の幟が空しくはためいていました。


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大黒屋光太夫記念館 冬の企画展「光太夫が書いたロシア文字」

住所:三重県鈴鹿市若松中1ー1-8

 2013年1月12日(土)、2年前に訪れた大黒屋光太夫記念館に再訪した。何となく寄った記念館だったけど、入館して光太夫の略歴を知り不屈の精神に感動して小説や関係資料を読むようになった。
 ちなみに最初は近くの若松小学校内に資料室が設けられていただけだったが、2005年に現在の記念館が建てられている。詳しいことは大黒屋光太夫記念館の公式サイトをご覧下さい。

(記念館)

(記念館の前に建つ大黒屋光太夫の像)

 今回の企画「光太夫が書いたロシア文字」では、光太夫が作った和露辞典や、頼まれて書いた「鶴」「福寿」という縁起のいい言葉を綴ったものが展示してあった。
 昔は帰国後に軟禁生活を強いられていた悲劇の人と考えられていたが、1986年に若松小学校が百年史作成のため調査したところ帰郷していたことが分かり、それまでのイメージが一変した。
 光太夫は江戸で軟禁されていた訳ではなくロシアで得た知識を幕府や知識人に必要とされ留まっていただけのようだ。事実、蘭学者らと新年会を祝いロシア語を披露し妻も娶るなど自由な生活を送っている。
 展示会が終わった後は光太夫の菩提寺や供養碑などを廻った。最後に大黒屋光太夫のお酒を買おうと思ったけど、どこに売っているのか分からなかったので諦めた。


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