秋田実季

(あきたさねすえ)

生没年:1576〜1659年/ 身分:常陸宍戸5万石の大名/ 官位(通称、号):秋田城介

実季の墓
三重県伊勢市朝熊町1212に建つ実季の墓

 秋田愛季の次男。秋田家は安倍貞任を先祖する家で津軽に本拠地を置いていたが南部家のために出羽に追われた。実季は1587年に家督を継ぎ(兄はすでに亡くなっていた)領地を広げ秋田県北を制覇し居城を檜山から湊に移す。1591年に豊臣秀吉から領土を安堵され九戸政実の乱、朝鮮出兵、伏見の普請などで功があった。
 関ヶ原の戦いでは東軍につく。1602年に佐竹義宣が秋田へ減封となると常陸宍戸に移封させられた。大坂の陣では息子達を率いて従軍した。1630年に待遇や幕府への不満が原因で伊勢朝熊に流され1659年11月29日、そこで死亡する。

管理人・・・秋田家自体は嫡男の俊季の幕府への忠節と実季の妻が徳川秀忠の妻と従姉妹だったので改易は免れ明治まで続いています。あと実季は文武両道のすぐれた武将だったそうです。

参考文献三百藩藩主人名事典戦国大名諸家譜、ほか

UPDATE 2004年2月29日
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