2014年愛媛・香川行き(2日目その2:萩原寺(地蔵院)・十輪寺)

 松山市から1時間ほどで香川県の西端・観音寺市に到着。さてこれから史跡巡りだ。

・萩原寺(地蔵院)・・・香川県観音寺市大野原町萩原2742。真言宗。807年、空海が刻んだ仏像を本尊として安置したのが始まりだという。河野氏・細川氏・仙石氏・生駒氏などの崇敬を受けている。

(細川勝元が寄進した仁王門)

(石段)

(六地蔵)

(本堂)

(太子堂)

感想:元親も庇護した…と思って来てみた。


・十輪寺・・・香川県観音寺市大野原町丸井502。真言宗大覚寺派。藤目城主・斉藤氏の菩提寺である。本尊の地蔵菩薩は空海の作と伝わり、藤目城が攻められた際に出撃して矢を受けたことから矢受地蔵と呼ばれる(矢を取ったことから矢取地蔵とも)。菩薩像の背中には矢の刺さった跡があるという。

(本堂)

(地蔵)

(藤目城主歴代の墓)

 矢受地蔵を拝もうと思ったのだが、無住のため誰に頼んでいいのか分からない…。そこに住職の家だったところに住んでいた若い男性が出てきて「寺を管理されている方のところに行くので一緒に行きますか?」と言われ、お言葉に甘えて軽トラックに乗せてもらい管理されている方のところに行った。途中、これからの人生について相談を受けたが、答える前に着いてしまった…。
 しかしそこで分かったのは「萩原寺の末寺みたいになっているので、そちらに電話して下さい」という情報…。さっき行った寺やん!
「これからどうします? 十輪寺まで送ってもいいですし、近いですから歩いても帰ってもらってもいいですけど…」
 若い男性に尋ねられたが何度も甘えるも悪いだろうと思い自分で帰ることにした。帰路、萩原寺に電話したら
「本尊は非公開です」
 と断られた。仕方が無いね。しかしまあ十輪寺に着かんなあ、と思ってスマホで確認したら3キロくらいあった…。話しながら来たんで気がつかなかったよ。しかも道もロクに覚えていないし。炎天下の中、何度も行き止まりに出ては引き返すというのを繰り返してやっと車に着いた。時には厚かましいのも大事だと思った。


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2012年四国史跡巡り(6日目その5:白峯寺・与島)

49.白峯寺・・・香川県坂出市青海町2635。四国八十八ヶ所霊場・第81番札所。五色山の白峯に建つ寺。815年、空海が当山に登った際に如意宝珠を埋めたのが始まりといわれる(これは土地の神に許可をもらうための儀式、則ち地鎮祭だったと解釈されている)。その後、空海の甥(姪の子とも)・円珍の前に土地の神が現れ仏法を興隆するようとのご神託があったため千手観音像を彫像し本尊とした。
 保元の乱で讃岐に流された崇徳天皇が1164年に崩御されると白峯の山頂に御陵が作られる。その後、兵火にあって一時衰退したが讃岐の大名となった生駒氏・松平氏の援助で再建している。
感想:ちょうど大河ドラマがやっていたので来てみた。

(七棟門)

(香川県指定有形文化財・客殿)

(護摩堂。お土産などが売っていた)

(崇徳天皇の廟所・頓証寺殿。この後ろに崇徳天皇の御陵がある)

(相模坊大権現。相模の大山にいたが、いつしか讃岐に移り住み崇徳天皇の守護神となった。夕方に豆腐を街まで買いに行くように言われた小僧を哀れに思った相模坊が京都まで運んで帰ってきたという伝説がある。地元では「さがんぼさん」と呼ばれている)

(西行の像。西行が四国で修行した際に当地に立ち寄ったところ、霊廟に崇徳天皇が現れ「松山や 浪に流れてこし船の やがて空しくなりにけるかな」と詠んだ。そこで西行は涙を流しながら「よしや君 昔の玉の床とても かゝらん後は何にかはせむ」と詩を返している)

(源頼朝寄進の石灯籠。実際は鎌倉時代後期のものらしい)

(本堂。ここも長宗我部元親の兵火によって焼かれたらしい。寺を焼くためにこんな高いところまで登ってくるとはご苦労なことだ。この本堂まではかなりの階段を登ってこないといけないため、お歳を召した方はきつそうだった)

(大師堂)


 これで本日、というか今回の史跡巡りはお終いTT 近くの瀬戸大橋に乗った。でも、帰る前に1つ寄りたいところが・・・。
・与島パーキングエリア・・・香川県坂出市与島町587。仮面ライダーBLACK RXの第33話「瀬戸大橋の大決戦」で、敵のクライシス帝国がここから出向していた船に爆弾を載せ瀬戸大橋を爆破し日本から孤立させクライシスランドを建設しようとした。馬鹿馬鹿しくも回りくどすぎる計画である。
 まあ、そんなわけですっかり変わってしまったとはいえ、ロケ地となったここに一度訪れてみたかったのだ。

(坂出方面を望む。橋の先に見えるのが讃岐富士・飯野山)

(宇多津・丸亀方面を望む。右の島が牛島)


 今度こそ終了。帰るのが面倒で一瞬そのまま北上して実家の鳥取県に帰省しようと思ったけど、仕事があるので休憩しながら愛知県に戻った。

今回の旅の感想:長宗我部元親・バリィさん・八十八ヶ所と興味のあるものを満喫してきた。やっぱりいいよ、四国。食べ物旨いし見るところ多いし。また一年後に来るよ!

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2012年四国史跡巡り(6日目その4:金倉寺・天皇寺)

47.金倉寺・・・香川県善通寺市金蔵寺町1160。四国八十八ヶ所霊場・第76番札所。空海の甥(姪の子とも)・円珍誕生の地である。当寺は円珍の祖父・和気道善が建立し「道善寺」と名付けられたが、928年に醍醐天皇の命で地名を取って金倉寺となった。1558年、三好実休率いる三好軍が服属しない香川氏を攻めた際、この場所に陣を敷いている。
感想:東讃の有力豪族・寒川氏と香川氏の力を背景にした無量寿院が御開帳を巡って戦った寺だと思ってきたのだが・・・それは、さぬき市長尾東の宝蔵院だった。なぜ間違ったかというと、ここが「鶏足山“宝幢院”金倉寺」だったから。あと香川氏が金倉寺を支配したから、それとごっちゃになっていたようだ。そうだよな、寒川氏がここまで来るわけないよな・・・。

(入り口と手水舎)

(伝教大師・最澄と弘法大師・空海を祀る大師堂)

(訶梨帝母堂。鬼子母神を祀っている。鬼子母神は経典によって多少の相違があるが、鬼子母経によれば千人の子があったが、常に他人の子どもを殺して食べたため釈迦はこれを教化しようとその最愛の末子・愛奴を隠した。釈迦は悲嘆にくれる鬼子母を戒めて子を返し帰依させたという。手にざくろを持つ天女の姿をとり、産生と保育の神(ときには盗難除の守護)として信仰される)

(本堂)

(金箔と貼るとおかげがもらえる大黒天)

(乃木将軍妻返しの松。陸軍の師団長として香川県に赴任した乃木希典は当寺を宿舎とした。ある時、妻が東京から面会に来たが会いもせずに追い返した。その時、妻は途方に暮れてしばらくこの松の下でたたずんでいたが、希典の覚悟を知ってそのまま帰っている。その逸話からこの名が付いている。現在のは二代目)

(仁王門)


48.天皇寺・・・香川県坂出市西庄町天皇1713-2。四国八十八ヶ所霊場・第79番札所。行基の開基。その後、荒廃していた寺を空海が再興し「摩尼珠院」と名付けた。1156年、保元の乱に敗れた崇徳上皇は讃岐に流され当寺で崩御されている。その後、二条天皇が崇徳天皇社を建て後嵯峨天皇が現在地に移転した。神仏分離令で摩尼珠院が廃寺となったが、高照院がここに移り「金華山高照院天皇寺」となっている。
感想:駐車場が狭い! 近くの住宅は違法駐車だらけだった。こんなに駐車場が狭い八十八ヶ所は初めてだった。場所柄仕方が無いんだろうけど・・・。
 例によってここも長宗我部元親が焼いたことになっているらしい。

(三輪鳥居。左の下乗と刻んである石は源頼朝寄進のもの)

(本堂)

(大師堂)

(崇徳天皇を祀った白峰宮の拝殿)

(御神木の楠木。樹齢約500年)


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