江崎山管天寺(常陸土岐氏の菩提寺)

●江崎山(こうきざん)管天寺
住所:茨城県稲敷市江戸崎2826
駐車場:あり

 曹洞宗。本尊は釈迦如来像。延徳2(1490)、江戸崎城主・土岐原(土岐)景成を開基とし土岐家の菩提寺として創建された。当初は鹿島神社(稲敷市江戸崎)の境内に建てられている。だが天正18(1590)年、小田原攻めの際に北条氏に従った土岐治綱は豊臣方の軍勢に攻められ、その兵火で管天寺も焼失した。
 その後、現在地に再建される。本堂などは文化6(1809)年に焼失したが、文政3年(1820)年に再建された。寺の南に門前という地名が残り門前町があったようである。

(六人力地蔵尊)
六人力地蔵尊

(力試しに使われていた力石)
力石

(本堂)
本堂

(土岐治頼・治英の墓。治頼は美濃守護・土岐頼芸の弟で常陸土岐氏の養子に入った。治英は治頼の息子である)
土岐治頼・治英の墓

参考文献:茨城県の地名、現地の案内板、茨城名勝誌、龍ケ崎市歴史民俗資料館

感想:参拝したのが10年前なので全く記憶にないです。



常陸 江戸崎城(土岐原(土岐)氏の居城)

●常陸 江戸崎城
住所:茨城県稲敷市江戸崎(字 城山)
駐車場:不明
遺構:曲輪、土塁、空堀
標高:22メートル/比高:18メートル

 稲敷台地の南に突出した場所にあり、東西の地名が荒沼、沼田であることから周囲は湿地帯だったと思われる。鎌倉時代の初期には小田氏の家臣が居住していたが、嘉慶元(元中4、1387)年頃に関東管領・上杉氏の被官だった美濃の土岐原秀成が当地に入り永享年間(1429~1441年)頃に築城したという。
 土岐原秀成は信太庄(しだのしょう。稲敷市、土浦市などの一部)惣政所職を掌握し、その他にも勢力を広げていった。天文12(1543)年頃には土岐原から土岐に改姓する。関東管領・上杉氏の元で戦い、上杉氏の没落後は小田氏と組んで佐竹氏らに対抗する。だが小田原の北条氏についたため、天正18(1590)年の小田原攻めの最中、土岐治綱は豊臣秀吉の家臣・浅野長吉の軍勢に降伏して治綱は退去した。
 その後は佐竹義宣の弟・芦名盛重が入るが慶長7(1602)年で佐竹氏が出羽に移封されるとその後入った大名にも使われたが、やがて廃城になったという。

(曲輪)
曲輪

曲輪

(土塁)
土塁

土塁

(古城開運稲荷神社。往時は土岐氏の守護神が祀られていたが天正18(1590)年の滅亡と共に衰退する。明治17(1884)年に町民の願いによって再建された)
古城開運稲荷神社

参考文献:茨城県の地名、現地の案内板、茨城名勝誌、茨城県の中世城館

感想:北側の江戸崎小学校も城址だったのですが入っていません。



牛久大仏(世界最大の大仏)

●牛久大仏
住所:茨城県牛久市久野町2083
駐車場:有り

 浄土真宗東本願寺派。全長120メートルの世界最大の青銅製大仏である。平成5(1993)年に建立された。1~5階まであり写経体験などができ、展望台からは周囲の風景が楽しめる。

(入場すると1/1000の大仏の顔が設置してある)
大仏の顔

(顔ハメパネルで記念撮影もできる)
顔ハメパネル

(發遣門)
發遣門

(写真では分かりづらいが、とにかく大きい)
大仏

大仏

大仏

(この写真は・・・1階の光の間だったっけ?)
光の間

(3階の蓮華蔵世界)
蓮華蔵世界

(本願荘厳の庭)
本願荘厳の庭

本願荘厳の庭

(園内(境内?)の花が咲いていた)
花

感想:茨城県の観光名所の一つです。


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