一宮市尾西歴史民俗資料館(起宿脇本陣跡) 投稿日時: 2012年10月10日 投稿者: 筑後守 住所:愛知県一宮市起字下町211 起宿は江戸時代に東海道と中山道を結ぶ美濃路七宿の一つとして賑わった。1641年、交通量の増加に伴い脇本陣が建てられる。1891年の濃尾地震で倒壊したが、脇本陣を継承していた林家によって建て直された。現在は歴史民俗資料館の別館になっている。 (脇本陣跡。関ヶ原の戦いの直前、福島正則はこの美濃路を通って岐阜城を攻めている) (脇本陣の庭) (歴史民俗資料館) 感想:何かを見るために来たと思うのだが忘れた。古い電化製品が並んでいたことしか記憶に残ってない・・・。 ○写真の提供についてはこちらをクリック
宝江渡し跡(池田輝政渡河の地) 投稿日時: 2012年10月9日 投稿者: 筑後守 住所:愛知県一宮市北方町北方 関ヶ原の戦い直前の岐阜城攻めの際、池田輝政の軍勢がこの地から渡河して美濃に渡り攻めた。江戸時代には尾張藩が渡し船を整備・維持している。以降、明治時代に鉄道が出来るまで対岸を渡る役割を果たした。 (宝江渡跡の碑) (右が津島、左が名古屋の道標) (分岐点。説明版が建つ) (説明版の下に建つ岐阜街道の碑) 感想:木曽川まで歩いて行けたんですけど、面倒でやめました。雨だったから景色も良くなさそうだったし・・・。
長谷川秀一公旧居跡(東郷侍従旧居跡) 投稿日時: 2012年10月7日 投稿者: 筑後守 住所:愛知県一宮市北方町北方字東渡り58-2、愛知県一宮市北方町北方字宮浦42 長谷川秀一は織田信長に小姓として仕えたという。本能寺の変の際は堺に徳川家康を案内していたため難を逃れている。その後、豊臣秀吉に仕え、小牧・長久手の戦い、紀州征伐に従軍し、越前東郷11万石の城主となる。旧居跡は秀一が信長に仕えていた頃の屋敷跡と伝わる。 (屋敷跡。現在は下渡り公民館が建っており説明版がある) (石碑。以前は下渡り公民館の辺りに建っていたが、北方中学校の校門に移転された) (石碑の横に移転したことが書いてあった) 感想:石碑の移転先が旧居跡といわれていたところから離れすぎているため、石碑としての意味をなしていないのでは・・・。住宅街とはいえ、もう少し近くに移転することは出来なかったのだろうか。 ○写真の提供についてはこちらをクリック