●普陀山巖吼寺(がんくうじ)
住所:長崎県南島原市加津佐町乙432
駐車場:あり
曹洞宗。本尊は釈迦如来像。正平13(1358)年、有馬直純が招いた大智を開山として加津佐町天辺に円通寺を創建した。戦国時代には有馬氏の庇護を受けて、七堂伽藍が建ち並び500人の僧が暮らしていたという。だが、島原半島でキリスト教が盛んになった天正年間(1573~1592)に伽藍を破壊されたとも、寛永14(1637)年の島原・天草一揆の際に一揆勢によって焼失したとも伝わる。
慶安5(1652)年、加賀(石川県南部)にいた雲山愚白が、大智の隠居の地だった現在地に巖吼庵という草庵を建てて住んでいたところ、島原藩主・高力氏の庇護を受けて円通寺を再興する。昭和17(1942)年、寺号統制令により巖吼寺と改号した。
寺宝に大智が所有していた法衣・払子(毛や麻などを束ね、それに柄をつけたもの)・鉄鉢、高力高長の筆の掛軸、愚白の書などがある。
(石段を登ったところに観音堂があったそうだが、平成13(2001)年の火災で焼失した)

(さるの墓。昔、岩戸山に子ザルが住んでおり大智の座禅などを真似をしていて懐いていた。ある日、大智が岩戸山に登ると子ザルが大岩の下敷きになっており、岩を動かしたが既に子ザルは息絶えていた。哀れに思った大智は猿の姿した石塔を彫る。それがこの墓だと伝わり、安産の御利益があるという)

(断崖の大きな洞穴に穴観音を目当てに参拝したが、見学路崩落のため行けなかった。事前にネットの情報で知ってはいたがもしかしたらと思い登った。穴観音の先に座禅石があって、そこからの景色が良かったらしい)

参考文献:長崎県の地名、長崎県の歴史散歩、長崎県の文化財1973、大智禅師、まんが日本昔ばなし~データベース~
感想:岩戸山を下る最中、左の靴紐がほどけて、それを右足で踏んでしまい転けました。道が狭く片方が崖だったのですが、落ちることはなかったです。不幸中の幸いでした。痛かったですが。
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