肥前 河原城(川原城。大村氏の出城)

●肥前 河原城(川原城)
住所:長崎県東彼杵郡川棚町上組郷
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、空堀
標高:41メートル/比高:33メートル

 築城者、築城年代ともに不明。川棚氏か河原氏の居城で、大村氏の出城になったという。天文2(1523)年、大内義興の軍勢が当地に侵攻した際、矢次某を大将として川棚中の武士が城に籠もって、大内軍の阿曾某を討ち取ったという。

(二の丸に続く道と近代以降に不要になったコンクリートなどを石塁として使った跡? とにかく石は城とは関係なさそう)
二の丸に続く道

コンクリート

(二の丸)
二の丸

二の丸

二の丸

(本丸)
本丸

本丸

(遠景)
遠景

参考文献:長崎県の歴史散歩、長崎県中近世城館跡分布調査報告書2、長崎県の地名

感想:写真は数年前のもので、現在曲輪だった場所はフェンスがあり入れなくなっているそうです。どこかから入れるかもしれませんが、私有地なので止めておいた方がいいです。
 西側の空堀を見るのを忘れました。

(縄張図。クリックすると別タブが開きます)
縄張図


掲載の縄張図について

中浦ジュリアン記念公園(中浦ジュリアン出生地)

●中浦ジュリアン記念公園
住所:長崎県西海市西海町中浦南郷(字 御園)
駐車場:あり

 県指定史跡。当地は中浦ジュリアンの出生地だと伝わり、父は中浦城主の小佐々甚五郎だというのが一般的だが、諸説あり詳細は不明である。天正10(1582)年、ジュリアンは天正遣欧使節の副使として渡欧し、ローマ教皇と謁見し帰国した。
 慶長6(1601)年、マカオに渡って学び帰国後は司祭に叙階され、キリスト教への迫害が厳しくなる中でも博多や口之津など九州各地で布教活動を続ける。だが、寛永9(1632)年に小倉で捕らえられて、翌年に西坂(長崎市西坂町)で穴吊り刑で殉教した。
 平成20(2008)年11月24日、188福者の一人になっている。

(館(たち)と呼ばれる館跡。中浦ジュリアン出生地である。天正遣欧使節四百年祭記念として昭和57(1982)年に建てられた顕彰之碑もあった)
館跡

館跡

館跡

館跡

(館に隣接する中浦ジュリアン記念公園。平成13(2001)年に整備され、内部は資料展示室になっている)
中浦ジュリアン記念公園

中浦ジュリアン記念公園

中浦ジュリアン記念公園

中浦ジュリアン記念公園

中浦ジュリアン記念公園

中浦ジュリアン記念公園

(公園にあるジュリアンの像)
ジュリアンの像

ジュリアンの像

参考文献:長崎県の地名、長崎県の歴史散歩戦国人名事典長崎観光/旅行ポータルサイト ながさき旅ネット長崎県の文化財

感想:中浦城が直ぐ近くにあったのですが時間がなくて寄れませんでした。


要法山常在寺(キリシタン墓碑)

●要法山常在寺(キリシタン墓碑)
住所:長崎県東彼杵郡川棚町中組郷1465
駐車場:あり

 日蓮宗。本尊は多宝如来・釈迦如来。寛永17(1640)年、福井県小浜市の長源寺の住職・日審が全国行脚の際、当地に来て草庵を結び説法をして曼荼羅を描いたという。万治元(1658)年、佐賀の性善院の日清が当地で説法を行うと帰依する者が多く、大村藩主・大村純長の許可を得て万治2(1659)年に常在寺を建立した。
 常在寺の山腹には県指定史跡のキリシタン墓碑が建つ。明暦3(1657)年、大村藩は郡崩(郡中心の約600名の隠れキリシタン摘発事件)が起きるとキリシタン墓碑を徹底的に破壊したが、この墓碑は偶然難を逃れている。
 墓碑には「元和八年(1622)壬戍」「富永二介妻」「七月十五日」と刻んである。名前の上の記号はChristus(キリスト)のhとistが省されたと推測されている。その上は女性の洗礼名でMACHIではないかという説があるが異説もある。和洋折衷という珍しいキリシタン墓碑である。

(入口)
入口

入口

(本堂)
本堂

(梛の大木。県の指定文化財だったが平成30(2018)年に枯れてしまった。その下の像は「こぞうくん」。ネットで検索すると日蓮宗のイメージキャラクターらしい)
梛の大木

(三十番神堂)
三十番神堂

(キリシタン墓碑)
キリシタン墓碑

キリシタン墓碑

キリシタン墓碑

(境内から見た川棚町の街並みと大村湾)
川棚町の街並みと大村湾

参考文献:長崎県の地名、長崎県の歴史散歩、長崎県東彼杵郡誌、要法山常在寺公式サイト川棚町観光ガイド

感想:常在寺さんは公式サイトを見ると「日本三大法華の一つ「大村法華」の伝統を守るべく、大村八ヶ寺の一つ」として活動されているそうです。
 キリシタン墓碑は案内があるため迷うことはないと思います。