山田右衛門作の住居跡と供養塔(島原の乱で内通した南蛮絵師)

●山田右衛門作の住居跡と供養塔
住所:長崎県南島原市口之津町前方
駐車場:なし

 寛永15(1638)年の島原の乱で一揆勢のほとんどが幕府軍によって全滅したが、生き残った者もいる。
 南蛮絵師の山田右衛門作は長崎でキリスト教と洋画を学んで、一揆勢に加わり旗印も描いた。だが、落城寸前の同年2月にかつての領主だった有馬直純に矢文を放って、一揆勢に兵糧と水が残り少ないことを教える。再度の矢文で内通が一揆勢に露見したため原城内の牢獄に監禁されるが、幕府軍の総攻撃で救い出された。その後、松平綱信の命で江戸に連れて行かれ最初はキリシタン弾圧に協力したが、キリシタンに立ち返り公然と布教活動を行ったため、投獄され最期は長崎で亡くなったという。
 住居跡は右衛門作が一揆に加わるまでに住んでいた場所で、供養塔が建てられている。

(住居跡)
住居跡

(供養塔)
供養塔

参考文献:長崎県の地名おらしょ-こころ旅長崎県の歴史散歩

感想:屋敷跡の前に車を駐めたら地元の方に呼び止められて「これから作業するけん、そこに駐車されると困る」と注意されました。そこで山田右衛門作のことを説明したら「知らんなあ。あっ、なんか書いてある。そんなもんがあったんだ」と言われていました。


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