(24~26日(石見東部)のルート。実際の道は考慮せず通過した場所を直線で結んでいます)

6月24日:「廿四日、しまつ屋の関とてありしかとも、亭主の書状を以安く通候、さてはねの町を打過、梁瀬のしゅく、尚行て大田といへる村、門脇対馬といへる人の所に立寄徊らひ、さて行々て石見のかな山清左衛門といへる者の所ニ一宿、夜入加治木衆早崎助十郎・久保田弥三左衛門酒持來候、亦一閑うりもてはやし候」
「しまつ屋の関」(島根県大田市朝山町仙山島津屋。出雲と石見の国境にある関所だった)を亭主(前日に泊まった家の主人の清左衛門か?)の書状で容易に通り抜けると、「梁瀬のしゅく」(島根県大田市久手町波根西)を通過し、「大田といへる村」(島根県大田市大田町)の門脇対馬の家に立ち寄る。そして「石見のかな山」(島根県大田市大森町にある石見銀山)の清左衛門の家に泊まる。この清左衛門と先日の清左衛門は同名の別人だろう。
夜になると「加治木衆」(鹿児島県姶良市の加治木の人達)の早崎助十郎と久保田弥三左衛門(弥彦左衛門とも)が酒を持ってきた。「一閑うり(『一閑たり』とも)もてはやし候」は意味が良く分からないが、一閑(一貫≒4キロ)分の瓜で持てなしてくれたということだろうか?
昔、史跡巡りの本で家久が「しまつ屋の関」を抜ける際、同姓だったため容易く通れた、という文章を読んだ記憶がある。しかし改めて調べてもそんなことはどこにも載っていない。亭主の書状が残っていて記載があるとも思えないし、単なる私の記憶違いか。
6月25日:「廿五日、打立行に、肝付新介に行逢候、加治木衆三十人ほと同行、さて西田の町を打過、湯津に着、其より小濱といへる宮の拝殿にやすらふところに、伊集院に居る大炊左衛門、酒瓜持参、さて湯に入候へは、喜入殿の舟に乗たる衆、秋目船の衆、東郷の舟衆、しらハ衆、各すゝを持来り候、其より小濱のことくまかり、出雲之衆、男女わらハへあつまりて能ともなし、神まひともわかぬおひいれ、出雲の歌とて舞うたひたる見物し、其より小濱のはたこやにつき、亦湯乃津のことく歸り候へハ、船頭各々我々船に乗候へと申間、寔いせひを仕候、夜入候て、関東の僧とて見参有へき由候間、斟酌候へ共、薩摩にて聞給しとてすゝを持せ、与風来られ候間、無了簡參合、亦亭主よりもすゝを得させ候、亭主小四郎」
石見銀山を出発しすると、加治木衆三十人を同行した「肝付新介」(島津氏の家臣・加治木肝付氏の一族か?)と会う。「西田の町」(島根県大田市温泉津町西田)を経由して「湯津」(島根県大田市温泉津町温泉津)に到着。「小濱といへる宮の拝殿」(島根県大田市温泉津町小浜の神社の拝殿。厳島神社のようだ)でたたずんでいるところに「伊集院」(鹿児島県日置市伊集院町)にいる大炊左衛門が酒と瓜を持参した。
そして温泉津温泉で一風呂浴びると「喜入殿の舟に乗たる衆」(島津氏の家臣・喜入氏の人達)、「秋目船の衆」(鹿児島県南さつま市坊津町秋目の人達か?)、「東郷の舟衆」(鹿児島県薩摩川内市東郷町の人達)、「しらハ衆」(不明)の者達が各々「すゝ」(錫で出来た徳利)を持って来た。出雲の「男女わらハへ」(男女の子供達)も集まって能とも神舞とも分類できないものを出雲の歌と共に舞ったのを見物した。
この踊りがのちに出雲阿国が京都で始めた阿国歌舞伎の元ではないかという説もある。「神まひともわかぬおひいれ」の「おひいれ(おひハれ、とも)」の意味は不明。何にしてもこの時は薩摩の人達が集まって浜辺で出雲の舞を興味深く見物したようだ。
(温泉津港。石見銀山から出た銀の輸出で栄えた。この近くの浜辺で家久達は出雲の舞を見物したのだろう。当時の温泉津港はここでは無く沖泊が中心であった)

それから「はたこや」(旅籠屋。宿)に着く。「湯乃津のことく歸り候へハ」(温泉津に帰ろうとしたら)、船頭達が自分の船に乗って下さいと申し出た。その間「寔いせひを仕候」をしたらしい。
「夜入候て、関東の僧とて見参有へき由候間、斟酌候へ共、薩摩にて聞給しとてすゝを持せ、与風来られ候間、無了簡參合、亦亭主よりもすゝを得させ候」も意味が分からなかった。
夜になって関東の僧という者が会いたいと言って来たので酒を飲んで待っていたら「薩摩で名前を聞きました」と、不意に僧が来たので考える暇も無しに会うことになった。また宿の亭主からも酒をもらった。というような内容だろうか。
6月26日:「廿六日、順風なくて留ぬ処に、入木の別當権左衛門、太平寺領の者善左衛門すゝを持參、さて出湯に入歸候へは、亭主會尺、酒えんさま々也、さて俄に追手の風有し間、犬の刻に出舟、さて三そうの船とう舟衆に酒たへさせ候」
小濱で風待ちをしていたところ、「入木の別當」(鹿児島県薩摩川内市入来町の寺の別当)の権左衛門と「太平寺領」(鹿児島県薩摩川内市大小路町の泰平寺の寺領か? 泰平寺は九州攻めで島津義久が豊臣秀吉に降伏した際会見したことで知られる)の住民・善左衛門が徳利を持参してきた。そして風呂から上がると宿の亭主が挨拶し酒宴になった。そのうち追い風になったため犬の刻(戌の刻。20時前後)に出航した。そして三艘の船頭や船員に酒を振る舞っている。
(島根県江津市波子町の波子海岸。家久らはこの沖を航海している)

参考文献など:家久君上京日記(五味克夫編)、東京大学資料編纂所所蔵「中務大輔家久公御上京日記」、島根県の地名、全国国衆ガイド、京都錫右衛門SUZUEMON、徒然草独歩の写日記
