甲神社・素鵞神社
住所:茨城県常陸大宮市下町221
祭神は甕速日命など。大同2(807)年に藤原良継が創建されたと伝わる。かつては部垂大宮大明神甲宮・甲明神・部垂大明神・鹿島明神と呼ばれたという。甲の名前の由来は佐竹昌義が京都にあった先祖の源経基の兜を奉納して創建したという説がある。
部垂(へたれ)城域の東に位置し城主の崇敬を受けたという。弘治3(1557)年、佐竹義昭が修築の際作成した奉加帳(神仏に奉加する金品の目録や寄進者の氏名などを記した帳簿)は茨城県の文化財に指定されている。
近世、部垂村の住民が響きが良くないとして村の鎮守だった甲神社に因んで解明願を出したところ、天保14(1843)年に希望が通り大宮という地名に改名されている。
社宝は佐竹義昭奉加帳の他に能面6面(茨城県指定文化財)、刀一振(常陸大宮市指定文化財)などがある。
素鵞神社の主祭神は素戔嗚命で創建年代は不明だが常陸大宮市姥賀町に建っていた。延暦21(802)年に坂ノ上田村麻呂が東北に行く前に祈願し、帰陣の際に剣を一振り奉納したと伝わる。元禄年間(1668~1704年)、水戸光圀が一村一社を命じた際、現在地に移されて甲神社の末社となる。
6月13日から行われる祇園祭では神輿などを荒々しく揉まない(激しく上下などに揺り動かすこと)と、その年は疫病が流行ると言われており現在でもふんどし姿の男達が荒々しい姿を見ることができる。
(昭和43(1968)年に創建された常陸大宮交通神社。旧大宮町安全協会が交通安全を祈願して創建し、祭神は京都伏見稲荷大社と甲神社から分霊している)

参考文献:茨城県の地名、大宮町史、常陸大宮市文化財マップ、常陸大宮市のたからもの
感想:もし部垂村の名前が変わらなければ常陸大宮市ではなく部垂市になっていたんですかね…。





