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大坂城五人衆の由来
冬の陣のある日、幸村はある噂を耳にした。 「真田幸村は徳川に敵対したと言っても親の時のことで、両将軍は幸村をあまり憎んではいない。その上、兄の信之や叔父は徳川家に奉公しているので、信用できない」 その頃、誰かが城の外に縄張りをして木材や竹を置いていた。 「ここに出丸を築いて自分一人で立て篭もり徳川軍を引き受け見事な戦いぶりを見せ、みんなの疑いを解いてみせよう」 そう考えた幸村は盛親や勝永、治長に相談。許可をもらい出丸の普請に取り掛かった。
「我らが出丸に縄張りして材木などを置いている所に、誰かが勝手に縄張りを捨てて木材も外に持ち運んで普請を企んでいる。出丸にすべき土地だとしても一応の届けはするべきだ。許可を出してない者の仕業なら理不尽の仕方に対して堪忍ならん!明日にでも私の兵を引き連れ場所を取り返してやる!」 「後藤殿の腹立ちはもっともだと思う。我らが預かった上はよろしく取り計らってもらうようお願いしてみよう。明日になっても我らから仕掛けるような軽率な行動を取るのは控えよう」 兼相は基次を諭した。それから城に上がって織田長益(有楽斎)・勝永・盛親・治長・兼相が集まり、にわかに寄り合いが始まった。相談の上、明石全登を呼び寄せ、みんなが口を揃えて「その方の他に後藤殿に意見できる者はいない。どうにか丸く納めてくれ」と頼んだ。
「真田殿の所業ならばなおさら堪忍ならない。だが、山川賢信と小川次郎兵衛の二人を明石殿に付け、私も三人衆の一員に加えてくれるなら許してもいい」 その言葉を受けて全登が豊臣秀頼にお伺いを立てると「後藤と一緒に明石も三人の同列に加えて五人衆とすればよい」と許可した。三人衆にも不満はなかったため、五人衆となった。これで急にではあるが治長の希望どおりになった。(『異本落穂集』) 管理人・・・他の逸話だと又兵衛が陣地を譲ったことになっていますが、どっちが真実なんでしょうか?
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