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1608年に筒井本家を継いでいた筒井定次が改易になると、徳川家康の指名で後を継ぎ大和郡山城の城代となり福住1万石を領した。 【滅亡】大坂の陣では豊臣家から誘われたがこれを断っている。1615年4月26日に大野治房が2000の兵で大和郡山に攻めてくると、兵が次々と逃げ出し手勢が僅か36人となってしまったため城を捨て領地に退却(大和郡山の戦い)。5月1日に逃亡先の福住村で絶望し、弟・紀伊守慶之に名刀『筒井丸』を残して自害している。これで大名としての筒井家は終わったが、一族の正信が旗本として筒井家を存続させた。
管理人・・・筒井家は不運な人が多いです。洞ヶ峠の件では悪く言われ、定次は言いがかりをつけられて改易、のちに自害。残った定慶も逃亡の責任とって自害・・・。 参考文献:大坂の役・戦国人名事典 コンパクト版・大和郡山市史・寛政重修諸家譜、ほか UPDATE 2002年12月3日 Copyright (C) 2002 Tikugogawa. |
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