筒井定次

(つついさだつぐ)

生没年:1562年頃〜1615年/ 身分:鳥居忠政の預かり/ 官位(通称、号):伊賀守

伊賀上野城
定次が城主だった伊賀市上野丸之内にある伊賀上野城

【筒井家を継ぐ】筒井順国の息子。1584年に筒井家の人質として大坂城に入り秀吉に仕えた。同じ年に本家で従兄弟の順慶が亡くなった為、本家を継ぎ大和郡山城主となる。四国征伐に功があり1585年に伊賀上野城主となった。その後も九州征伐・小田原征伐に参加。朝鮮出兵では渡海せず名護屋に留まる。

【内通】関ヶ原の戦いでは東軍に属し、近畿一円を制圧していた西軍に城を落とされるが、メインの関ヶ原で東軍が勝ったので本領を安堵された。
 1608年にキリシタンの疑いと家臣・中坊秀祐から素行の悪さの訴えられ改易される。陸奥磐城の鳥居忠政に預けられた。大坂冬の陣で大坂城から飛んできた矢に『羽柴伊賀守定次』という名前があったため豊臣軍への内通を疑われ、1615年3月5日に自害させられる。

管理人・・・1608年の改易は幕府のでっち上げの可能性が高いそうです。大坂の陣で矢に名前が書いてあったのも、改易の際に売り払った矢を買い取った商人が大坂城に売ったためだとか。

参考文献:大阪城物語・戦国人名事典 コンパクト版、ほか

UPDATE 2001年9月13日
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