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後に堺に移り住み、成長すると寺沢広高に500石で仕えたが大坂の陣で従兄弟の長宗我部盛親が豊臣軍についたためか、中原源右衛門と名を変えている。やがて寺沢家を辞し江戸の知足院に隠遁した。 【復活】しかし1635年、徳川家光の乳母・春日局(貞親の叔父・元親の妻が彼女の伯母にあたる)の口添えで堀田正盛の家臣となり1000石を与えられる(後に1300石)。堀田家の信濃松本と下総佐倉移封にも従った。1652年に子供がいなかったため高井源三衛門の嫡男・重親を養子とする。1660年7月死亡。 管理人・・・貞親の息子・重親ですが、貞親が死んだ後すぐに堀田家が改易されたため又従兄弟の柴田朝意を頼って伊達政宗の家臣となっています。 参考文献:長宗我部元親のすべて・大日本史料(第十二編15〜20) UPDATE 2003年5月17日Copyright (C) 2003 Tikugogawa. |
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