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特に小牧長久手の戦いでは池田恒興の長男・元助を討ち取り、家康から弓を授かった。1590年に徳川家が江戸に移封されると1千石を与えられる。関ヶ原の戦いでは使番として従軍。1603年の家康の将軍宣下にも供奉(天皇の行幸などの行列に供として加わること)し、1605年の正月に武蔵国内で2300石を与えられて、本多正純らと共に幕政に参加した。
【補佐役】1610年に駿府にいた徳川頼宣に付けられたが、幕政には前と変わらず関わった。またその時、遠江横須賀の大須賀(榊原)忠次が幼少であったためその補佐にもあたっている。
その後、直次が移動してから来た代官がそれのせいで兵農分離や検地が難しくなり大変苦労したそうです。まあ、これは頼宣が移封されてからきちんと整理する間もなく大坂の陣が始まったためであって直次のせいではないんですけどね。
また彼にはこんな話しがあります。ある日、頼宣の機嫌が悪く家臣を刀の鞘で叩いた。これを聞いた直次は、頼宣の膝を力一杯に押さえて「家臣に問題があった時は私に言って下さい。そのようなことでは50万石は治められません。もし慎まなければ私は切腹します」と諭した。 あと彼の生まれた年なんですが、1544年とか1554年など様々な本に複数の年が記述してあり、どれが正しいのかさっぱり分かりませんでした。多数決で一番多い1555年にしてみました。 参考文献:三百藩家臣人名事典・戦国人名事典 コンパクト版・徳川四天王―精強家康軍団奮闘譜・江戸幕閣人物100話、ほか UPDATE 2003年1月10日 Copyright (C) 2003 Tikugogawa. |
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