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【戦功を上げる】本能寺の変後も引き続き秀吉に仕え、賤ケ岳の戦いで功があり河内国内で450石を与えられた。小牧長久手の戦いでは紀伊の根来・雑賀衆からの攻撃を岸和田城で防ぐという功があり2千石を加増される。九州征伐では孝高と共に豊後・日向方面を進撃し、日向財部城攻めで功があった。戦後の1587年に孝高が豊前中津12万石を与えられると長政もそちらに移る。この際に他国への移封を拒んだ豊前の国人・宇都宮氏の反乱の鎮圧に孝高と共に向かった。
【福岡を造る】筑前に移った長政は前領主の小早川氏の居城・名島城を廃して、新しい城を築き、先祖の地・備前福岡にちなんで福岡城と名付けた(この時、博多の商人から反対され、那珂川より東側の武士の街は福岡、西側の商人の街は今まで通り博多と呼ばれるようになった)。そして氾濫の多い遠賀(おんが)川の改修工事(これは成功しなかった)、領内の検地、法の制定などを行っている。1603年、従四位下筑前守に任ぜられた。1606年江戸城本丸天守の石垣普請を命じられる。
管理人・・・長政が父・孝高のように夢を追わず現実路線で行ったおかげで黒田家は近世大名として存続できたんでしょう。もし長政が孝高のような性格だったらどうなっていたのか・・・。戦国時代で小領主なら如水のような人だと家を大きくできるのでいいかと思いますが、ある程度までの規模になって家をがっちりと守っていくなら長政の方がいいような気がします。以上、福岡市の基礎を築いた黒田長政さんでした。
参考文献:三百藩藩主人名事典・戦国人名事典 コンパクト版・戦国大名諸家譜・黒田如水 UPDATE 2005年6月5日 Copyright (C) 2005 Tikugogawa. |
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