宮内少輔と弥次兵衛

 長宗我部盛親の旧臣・吉田猪兵衛は福島正則に仕えていたが、大坂冬の陣が起こると旧主を慕って大坂城に向かった。しかしすでに戦が始まっており、徳川軍に包囲され中に入れない。そこで藤堂家で重臣となっていた同じ長宗我部旧臣の桑名一孝が藤堂家の陣所にいるのを知って訪ねた。
「一緒に大坂城に入って長宗我部氏のために戦おう」
 猪兵衛は一孝に大坂に来た理由を話した後、誘った。
「私も同伴したいのはやまやまだが、藤堂高虎殿の家臣となって、何か奉公をしないわけにはいかない。だからと言って旧主に刃向かうわけにもいかない。この上は討死して両方の主君にお詫びするしかない」
 一孝ははっきりと断っている。
 そして一孝はその言葉通り、翌年の八尾の戦いで討死。その首実検の際、一孝の兜を見ると忍の緒が結んであり、端を切り捨てていた。そこで猪兵衛は一孝の決意を皆に話した。
「そういう事情があったのか」
 盛親や武将達は涙を流して、一孝の気持ちを思いやった。(『南路志』)

桑名一孝の墓
八尾市本町5−8−1の常光寺にある一孝の墓

管理人・・・『山本日記』には盛親が首実検した時、悲嘆に暮れていたということが載っています。

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