1601年(慶長6年)

年月日出来事死没人物
1601年1月1日豊臣秀頼、諸大名の年賀を受ける 
1601年1月11日伊達政宗、仙台築城を開始 
1601年1月18日伏見城を再建 
1601年1月徳川家康、東海道に伝馬の制度を設ける 
 イエズス会、京都・大坂・長崎の教会存続の許可を家康からもらう 
1601年2月徳川氏、譜代の家臣団を加増し要地に配置する 
1601年3月1日山内一豊、相撲大会と称して長宗我部遺臣を集め、73人を処刑する 
1601年3月5日政宗、約束を反故にされ5000石のみ加増される 
1601年3月23日家康、大坂城から伏見城に移る 
1601年3月27日秀頼、大納言となる 
1601年3月板倉勝重、京都所司代に(9月とも)。東海道五十三駅を設定 
1601年4月26日上杉家の家臣・本庄繁長、伊達政宗軍を破る 
1601年5月4日黒田孝高、家康から所領と官位の昇進を勧められるが辞退する 
1601年5月24日政宗の支援を受けて領地復興を画策していた和賀忠親が南部利直に敗れて自害する 
1601年5月結城秀康、福井67万石に移封される 
1601年6月28日宗義智が朝鮮に使者を送り国交回復を希望する 
1601年6月家康の命令で膳所城の築城を開始。 
1601年8月7日島津軍、薩摩攻略の噂のために軍備に備える 
1601年8月17日上杉景勝、家康に謝罪。米沢30万石に減封。 
1601年8月25日蒲生秀行、会津など合わせて60万石の大名となる 
1601年8月大久保長安、石見銀山奉行となる 
1601年9月2日江戸で大火事がある 
1601年9月11日柳生宗矩、徳川家の兵法師範となる 
1601年9月30日徳川秀忠の次女が前田利常に嫁ぐ 
1601年10月家康、江戸に戻る 
 家康、安南への返書で源姓を名乗る 
1601年11月28日上杉景勝、米沢城に入る 
1601年11月秀頼、四天王寺を再建 
1601年12月16日房総半島で地震 
1601年関ヶ原後の移封のため、全国で築城・改築が相次ぐ 
 諸大名が江戸に屋敷を築城し始める 

UPDATE 2004年12月2日
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