赤木城

(三重県熊野市紀和町赤木大字城山)

 赤木城は1589年に豊臣秀長の命を受けて、藤堂高虎が築いたと言われている。目的はこの周辺で頻発していた一揆鎮圧の拠点とするためであった。その後、1614年に起きた紀州一揆の際も浅野軍が拠点にしたと考えられている。
 現在は国指定の史跡として整備されています。

赤木城全景

赤木城全景:特にありません。

赤木城跡の碑

赤木城跡の碑:割と新しめでした。

石垣1(虎口)

石垣1(虎口):後から積み直した感が見えますが、現存らしいです。

竹原八郎屋敷跡

竹原八郎屋敷跡:南北朝時代に南朝に従った竹原八郎の屋敷跡。竹原新四郎の先祖らしいです。一応遺構らしきものは残っています。

三介地蔵

三介地蔵福本三介を供養するために村人が建てたもの。マイナーな史跡なのでたどり着けないかと心配していたら標識がありました。

一揆殉難者供養之塔

一揆殉難者供養之塔:天正年間と慶長年間に起きたこの周辺の一揆で亡くなられた双方の者を弔うために建てられたもの。ここの田平子峠刑場跡では紀州一揆の際にたくさんの方々が殺されています。「行ったら戻らぬ赤木の城へ、身捨てどころは田平子じゃ」と今に謡われています。

千枚田(おまけ)

千枚田(おまけ):丸山地区の観光名所、千枚田です。金森戦記のRYO様からの頂き者です。

コラム:とにかく山奥です。そしてとにかく遠い・・・。ただ景色は良く、特に千枚田は一見の価値があります。史跡に興味のない方も是非一度は行ってみてください。またこの旅での感想については筑後守の航海日誌に載せていますので、良ければご覧ください。


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UPDATE 2006年3月4日
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