井上時利

(いのうえときとし)

生没年:1566(1559)〜1615年/ 身分:豊臣軍の部将/ 官位(通称、号):小左衛門

兼山城跡
父・道利が城主だった岐阜県可児市兼山にある兼山城跡

 定利、利定とも。長井道利の三男。道利は斎藤道三の弟で美濃金山(兼山)城主だったが、斎藤家が織田信長に滅ぼされると、織田家に仕え1571年に戦死したという人物。時利は1599年に美濃と河内国内に760石を与えられたが翌年の関ヶ原の戦いで西軍についたために改易され浪人となる。
 大坂の陣が起こると大坂に入城し、冬の陣では谷町口を守備した。1615年5月6日の道明寺の戦いで、道明寺に薄田兼相らと共に駆け付けたが、すでに後藤基次が戦死した後で徳川の大軍が押し寄せて来ていた頃だった。それでも時利は奮戦し秋山右近を討ち取ったが兵力に勝る徳川軍の兵士の猛攻撃にあい討死してしまう。法名・宗了。妻は同じ斉藤家の家臣でのちに織田家に仕えた赤座七郎右衛門の娘。

管理人・・・父が死んでから1599年まで何してたのか分かりません。翌日の5月7日に戦死したという説もあります。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版大坂の役大坂の陣―錦城攻防史上最大の軍略寛政重修諸家譜

UPDATE 2002年8月30日
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