皆川隆庸

(みながわたかつね)

生没年:1581〜1645年/ 身分:謹慎中/ 官位(通称、号):志摩守

皆川隆庸の墓
栃木県栃木市皆川城内町1947の金剛寺にある隆庸の墓

 皆川広照の息子(次男か三男)。1600年の上杉征伐では徳川秀忠に従軍する。1609年に父の広照が松平忠輝を訴えて敗訴し改易されたため、それに連座して改易された。
 大坂の陣では井伊直孝に陣借りをして戦い功があった。1623年に皆川家は罪を許されて広照は1万石を与えられ、隆庸は5千石を与えられて徳川家光に仕える。1625年に広照が隠居したため常陸新治郡府中1万石を継ぎ合計1万4千石(1千石は弟に分地された)の大名となった。1631年に4千石を近江国内で加増され1万8千石となり、山城守の官位を与えられる。1645年2月5日死亡。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2004年4月30日
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