安藤重信

(あんどうしげのぶ)

生没年:1557〜1621年/ 身分:下総小見川2万石の大名/ 官位(通称、号):対馬守

高崎城
重信が城主だった群馬県高崎市高松町にある高崎城

 安藤基能の次男。安藤直次の弟。1584年の小牧長久手の戦い、1600年の第二次上田城攻防戦などに参加した。1611年に奉行職となり、1612年12月に下総小見川2万石の大名となる。大坂の両陣に従軍し、夏の陣の天王寺・岡山での最終決戦では徳川秀忠に属して岡山口に陣を構えたが、大野治房隊に蹴散らされて苦戦している。1619年に上野高崎5万6千石に移封された。1621年6月29日死亡。東京都杉並区永福にある長福寺(栖岸院)に葬られる。

管理人・・・重信は徳川家康亡き後の江戸幕府の重職となり、黒田家の軍船造船の嫌疑で改易されるところをその船を幕府に献上させて救っています。また福島正則の改易の時にも広島まで行って、うまく対処し戦闘もなく福島家をおとなしく退去させています。

参考文献江戸幕閣人物100話三百藩藩主人名事典戦国人名事典 コンパクト版、ほか

UPDATE 2004年6月7日
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