n 三宅康盛の紹介

三宅康盛

(みやけやすもり)

生没年:1600〜1657年/ 身分:三河衣(挙母)1万石の大名の孫/ 官位(通称、号):大膳亮

康盛の墓
愛知県田原市田原町北番場の霊巖寺に建つ康盛の墓

 三宅康信の長男。三宅康貞の孫。大坂冬の陣では駿府城を守備、夏の陣では淀城を守備した。1626年に父と共に徳川秀忠・家光の上洛に従い、大膳亮に任ぜられた。1632年に父が亡くなると伊勢亀山1万2千石を継ぐ。1636年に康盛が願いが聞き入れられて父の領地だった三河衣1万2千石に移封された(内訳は三河加茂郡7千石、常陸新治郡5千石)。その後、大坂城番などを務める。1657年12月29日死亡。法名・清厳院殿源室義曹大居士。豊田市梅坪町の霊厳寺に葬られたが、のちに田原市の霊厳寺に改葬される。

管理人・・・康盛の亀山城主時代に城好きにはよく知られた話があります。1632年に幕府は堀尾忠晴に伊勢亀山城の修築を命じ、天守を解体させましたが、のちに丹波亀山城と分かってそのままにされ、最後まで天守がなかったそうです。これは城郭が小大名にして大きすぎるとの理由で意図的に行われたとの説もあります。
 官位ですが、大膳亮は陣のかなり後から任ぜられたもので、当時のものとは違いますが、その頃何と名乗っていたのか分からなかったので、そのまま載せています。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2006年1月23日
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