三宅康貞

(みやけやすさだ)

生没年:1544〜1615年/ 身分:三河衣(挙母)1万石の大名/ 官位(通称、号):惣右衛門

桜城
三宅氏の居館があった愛知県豊田市元城町にある桜城

 三河梅坪城主・三宅政貞の長男。1558年に岡崎城で父と共に徳川家康に仕える。その後、浜松での戦い・掛川城の戦い・姉川の戦い・長篠の戦い・高天神城の戦い・小牧長久手の戦いなどで活躍した。1590年に徳川家が関東に移封されると武蔵瓶尻(みかじり)5千石を与えられる。
 関ヶ原の戦いでは遠江横須賀城を守備し、のちに伊勢亀山城の城番となった。1604年に三河衣1万石に移封される。大坂冬の陣では駿府城を守備、夏の陣では淀城を守備した。1615年10月23日死亡。法名・霊厳寺殿源栄洞心大居士。豊田市梅坪町の霊厳寺に葬られたが、のちに田原市の霊厳寺に改葬される。

管理人・・・衣に移った康貞は城内に三宅氏の始祖と言われる児島高徳を祀っています。あと城下町の整備も行っています。

参考文献三百藩藩主人名事典戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2005年12月25日
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