第2章:長宗我部氏の再興(1507〜1558年)

 岡豊落城の際、長宗我部元秀の息子・国親は家臣に連れられて城を脱出し一条房家を頼る。1518年、房家の仲介で周辺豪族と和解し岡豊城に戻った(国親の潜伏先及び復帰の経緯については諸説あり)。戻った国親は勢力を伸ばしつつあった本山清茂と婚姻関係を結んで西からの脅威を取り除く。そして周辺の領地を手に入れ次第に勢力を拡大していった。
 1547年頃、近隣の豪族・天竺花氏への攻撃を皮切りに本格的な軍事行動を開始。南へと侵攻し十市城主・細川宗桃などを降伏させていった。1549年頃には宿敵・山田氏を滅ぼして東にも勢力を伸ばしている。1558年には三男・親泰を香宗我部氏の養子に送り込み、長岡郡南部と香美郡を手に入れた。

南側から見た岡豊城と国分川
岡豊城
UPDATE 2012年3月25日
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