第3章:元親の登場(1560〜1569年)

 長宗我部国親が長岡郡南部に侵攻すると本山茂辰と浦戸湾の支配を巡って対立するようになる(茂辰と対立していた土佐一条氏の指示ともいわれる)。1560年5月、両軍は長浜で激突。これ以降、本山氏との長きに渡る戦いが始まった。
 1560年に国親が死去し嫡男・元親が跡を継ぐが攻撃の手が緩むことはなかった。一条兼定と東西から本山氏を攻め、1563年には朝倉城から撤退させている。本山氏は本拠地・本山城で抵抗を続けるが、1568年には降伏している。
 続いて元親は関係が悪化していた安芸国虎を1569年に八流の戦いで破り安芸郡の中西部にも勢力を広げた。

元親の土佐中部制圧戦の侵攻図
土佐中部制圧戦
UPDATE 2012年3月27日
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