●今村刑場跡
住所:長崎県島原市新山2丁目
駐車場:なし。周囲に駐車スペースもなし
近世には当地は今村と呼ばれており、島原城を築城した頃、城主の松倉重政が重罪人の首を刎ねて晒し首にした。その他、キリシタン弾圧によりイタリア人宣教師のピエトロ・パウロ・ナバルロを火刑にするなど多くのキリシタンを処刑している。
寛政4(1792)年の島原大変(眉山の崩壊による大量の土砂と、津波による大災害)で今村も埋没したが、再び刑場(同じ今村の中で場所は移動)となり、天明元(1781)年に親殺しの罪人が処刑されるなど、明治3(1875)年まで使用された。天保14(1843)年には藩医の市川泰朴や賀来佐一郎らが、医学の発展のため罪人の体を腑分け(解剖)している。
刑場沿いの道は島原藩の主要な街道で「島原街道」「殿様道」「殿様道路」などと呼ばれていた。
参考文献:現地の案内板、おらしょ-こころ旅、長崎県の地名、長崎県文化財調査報告書 第59集 (島原・南高の文化財)、ドキュメント 島原・天草の乱、島原の歴史 藩制編
感想:住宅街の中にあり道も旧街道なので狭く、車を駐めるところがなくて本当に困りました。


