興聖寺(旧秀隣寺庭園)

住所:滋賀県高島市朽木岩瀬374

 1237年に佐々木信綱が承久の乱で戦死した一族の供養のため、道元を勧奨して開基。朽木氏歴代の墓、室町幕府12代将軍・足利義晴を慰めるために作られた旧秀隣寺庭園がある。

(本堂)

(旧秀隣寺庭園)

(朽木氏歴代の墓)

コラム:旧秀隣寺庭園は国の名勝なんですが、私には良さが分かりませんでした・・・。


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朽木陣屋

住所:滋賀県高島市朽木野尻478

 近江守護だった佐々木定綱の四男・信綱が、鎌倉幕府から朽木領を与えられ城館を構えたのが始まりといわれる。朽木の地は京都と若狭や越前を結ぶ交通の要衝のため、たびたび歴史の表舞台に立った。室町幕府11代将軍・義澄、12代将軍・義晴、そして13代将軍・義輝が難を逃れて朽木に落ち延びている。
 織田信長が朝倉攻めの際、朝倉・浅井連合軍に挟まれた時も朽木氏が信長を助け道案内をしたことは良く知られている。江戸時代以降も朽木氏がこの地を治め明治維新を迎えた。現在、堀の一部などの遺構があり、朽木資料館が建っている。

(模擬門)

(堀の一部)

(井戸跡)

(資料館から見た朽木陣屋全景)


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賤ヶ岳古戦場

住所:滋賀県長浜市木之本町大音

 賤ヶ岳の名前の由来は、弘法大師が伊香具神社に参拝して一人の女性と出会った際「どなたですか?」と訊ねたところ、「西方に高き山あり。これ賤の住みたる所なる」と答えたことからだといわれている。
 ここは1583年に豊臣秀吉と柴田勝家が争った賤ヶ岳の戦いの舞台として有名である。現在は琵琶湖八景の一つとして観光名所になっている。

(碑)

(山頂にある銅像)

(賤ヶ岳の戦い戦死者供養の石仏)

(琵琶湖)

(余呉湖)

コラム:写真では伝わりづらいですが、山頂からの景色は最高です。歴史に興味のない方と一緒でも楽しめます。


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