志摩 国府城(三浦氏の居城)

●志摩 国府城
住所:三重県志摩市阿児町国府

 築城年代は不明。1516年、北条早雲に滅ぼされた伊豆新井城主・三浦義同は末子・新介(新助)を逃がすため、うつろ船(大木をくりぬいてつくった舟)に乗せて海に流した。やがて船は当地に流れ着き新介は志摩国分寺の住職に助けられ、伊勢の国司・北畠氏から国府の城主に命じられる。
 新介は当地に城を築いて北畠氏の家臣及び志摩十三地頭の一人となった。しかし九鬼嘉隆に城を落とされ飛騨に逃れている。城は関ヶ原の戦いで嘉隆と息子の守隆が戦った際、守隆が本拠地として利用している。
 主郭部の丘が遺構として残っている。

(三浦稲荷大明神。新介が当地に来た際に勧請したが、新介が追われた後は家臣の井村氏が守ってきたと伝わる)

(城内に五輪塔や宝篋印塔の頭の部分があったが、三浦家に関係したものか地元の方のものかは不明)

(主郭部。土塁らしきものがあったが写真では分からない…)

(全景)

感想:当地の案内板や日本城郭事典には新介が流されたのは鎌倉時代後期と記載してありましたが、時代が合わないため推測で概要を書きました。



志摩 甲賀城(武田信虎伝承地)

●志摩 甲賀城
住所:三重県志摩市阿児町甲賀
駐車場:なし

 築城年代は不明。城主は武田左馬介(甲賀雅楽頭と同一人物か?)と伝わる。天文10(1541)年、武田信玄に追放された武田信虎が当地に来た際、大切にされたことから武田姓を与えたと『三国地誌』に記載があり左馬介もその一人だという。『阿児町史』には文明14(1482)年、京都から追放された甲賀左近将監宗能が当地に来て永正8(1508)年に甲賀城を築いたとある。その後、甲賀氏は北畠氏、九鬼氏に仕えたという。
 遺構は海蝕のためほどんど無くなっている。

(城のあった辺り。中央の丘がどうにか残った城の一部らしい)
城

(近くの海)
海

感想:駐車スペースはありますが、周囲の道が狭いため気を付けて下さい。



石仏地蔵尊(潮仏)

住所:三重県志摩市志摩町御座

 ある時、村人の夢枕に地蔵尊が立って「我は御座浦の地蔵菩薩だ。祈願した者の腰より下の病を治す。海水のある場所で衆人の代わりに苦しみを洗浄しよう」と誓った。これが村人の間に広まり地蔵尊に帰依した。
 地蔵尊は子授け・安産や生理の調節など女性に関するご利益があるという。潮の満ち引きによって現れたり消えたりすることから潮仏とも呼ばれる。

(一の鳥居)

(参道…っていうのかな)

(仏その1)

(潮仏…かと思ったら前立地蔵でした。潮仏は気がつかなかったので写真はありません)

(石仏の北側(英虞湾)に浮かぶ島。名前は分からなかった)

感想:駐車場はありませんので気を付けて下さい。漁港に入ると仕事をしている方の迷惑になります。


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