夜食

 1615年5月6日の夜、豊臣軍が天王寺口に陣を構えたため、徳川軍もその南側に陣を構え野陣となった。その日は5月とは言え、ことのほか寒く誰もが震えていた。馬の泥障( あおり。下鞍に小型の大和鞍、水干鞍を使うとき、泥が飛びはねるのを防ぐため、下鞍の間に垂らす大型の皮革。のちに装飾用としても用い、漆塗りの皮を張る)を外して敷物にして休んでいたが、小荷駄隊が到着しなかったため。誰もが空腹に悩まされていた。
 しかしどんな方法を取ったのかは不明だが、その夜の4時頃、小笠原秀政の家臣・岩波平右衛門が右の手で馬を引き、左の手で馬柄杓(馬を洗うときなどに使う柄杓)を持って
「これで寒さをしのげ」
 と言い、粥を入れ配った。皆はさすが経験豊富な武士だと誉めている。(『小笠原代々記』)

管理人・・・米の入手方法については、記載がありませんでした。

UPDATE 2013年7月28日
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