槍玉に上げる

 天王寺・岡山での最終決戦小笠原忠脩は父・秀政より35〜55メートルくらい先の場所から真一文字に突っ込んだ。敵は大勢いたにも関わらずその働きを恐れて退こうとしたが
「卑怯者め! 引き返して来い! 小笠原信濃守忠脩とは私のことだ!」
 と声高に名乗ったため、敵は良い大将だと思い引き返してきた。忠脩は数人と槍を合わせてたが、やがて敵7〜8人に囲まれて一斉に槍で突かれた。そのため、その場で討死している。(『小笠原代々記』)

小笠原秀政・忠脩の墓
長野県松本市里山辺5112の広沢寺にある小笠原秀政・忠脩の墓

管理人・・・この後に続く文章は『さてさて比類無き御討死にて御座候』となっています。
 ここで敵が一斉に突く時のことなんですが、原文では『槍7〜8本にて突き上げ“槍玉に上げ”候』となっていたのを見て、『槍玉に上げる』の語源を初めて知りました。敵を槍で突き刺し手玉のように自由自在に操る→目標を定めて突き刺す→多くの中から攻撃の対象となる人や事柄を選んで責め立てる、という風になったようです。

UPDATE 2013年6月17日
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