小倉行春

(おぐらゆきはる)

生没年:?〜1615年/ 身分:豊臣軍の部将/ 官位(通称、号):作左衛門

近江日野城
行春が守備した滋賀県蒲生郡日野町西大路にある近江日野城

【蒲生家の重臣】小倉家は蒲生家の一族で近江佐久良城主を務めた。妻は蒲生氏郷の妹。1582年の本能寺の変では蒲生家の居城・日野城の守備につく。小牧・長久手の戦いでは氏郷に従って伊勢で戦った。1590年に蒲生家が会津42万石に移封されると南山城と6300石を与えられる。さらに蒲生家が92万石に加増されると行春も1万石の領主となった。

【出奔】しかし息子の秀行の代で領地を減らされたため6千石となる。その後、仕置きを任された重臣の岡半兵衛の専横がはなはだしく、それに怒った行春は対立の末、蒲生源左衛門らとともに出奔した。
 その後、豊臣家に仕えて大坂の陣でも豊臣軍として大坂城に篭り大野治胤に付けられて、福島を守備する。野田・福島の戦い道明寺の戦いで奮戦した。1615年5月7日、天王寺・岡山での最終決戦で戦死する。

管理人・・・蒲生家を出たまでは分かるんですが、なんでその後に岡半兵衛が蒲生家を追い出されてから戻らなかったんでしょうか? 一緒に出た蒲生源左衛門は戻っているのに。豊臣家にお世話になったのに恩を返していなかったからでしょうか。

参考文献会津人物事典. 武人編大坂の陣―錦城攻防史上最大の軍略ほか

UPDATE 2005年1月14日
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