伊藤吉重

(いとうよししげ)

生没年:1598〜1675年/ 身分:駿河徳川家の家臣/ 官位(通称、号):又兵衛

駿府城
吉重が留守をする予定だった駿府城

 伊藤久兵衛の息子。久兵衛が関ヶ原の戦いで戦死したので、徳川家康の庇護を受け、1603年に彼に仕える。1610年に300石を与えられた。大坂の陣では駿府城の留守をする予定だったが、家康を追いかけて遠江見附で会い、従軍を願い出て許される。大坂では徳川頼宣の側にいた。
 陣後に頼宣の小姓となり、1619年に頼宣が紀伊に移封されるとそれに従い500石を与えられる。その後、大番頭、大普請奉行を務め、最終的には千石となった。1675年8月4日死亡。

管理人・・・大坂の陣で大坂に向かう最中、美濃の墨俣川を越える時に、人数が多すぎて船が足りなかったため、槍を持ったまま川を越え、それを賞されて小袖を与えられたそうです。また従軍を願い出た心意気を賞されたのか大坂に着いた時点で10両を与えられています。

参考文献三百藩家臣人名事典・和歌山県史

UPDATE 2005年2月28日
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