≫
人物一覧≫
【人物の紹介】→
次の武将
|
その後、北条氏と結んで対抗していた江戸重通の水戸城を奪い、常陸南方三十三館の領主達を太田城に招いて騙し討ちにして常陸を平定した。1591年には九戸政実の反乱鎮圧に向かい、朝鮮出兵では肥前名護屋城に在陣する。 【三成への義理】1599年に親しかった石田三成が加藤清正らに襲われると自ら大坂に出向いて護衛し助けている。関ヶ原の戦いでは三成側について上杉景勝らと徳川軍を攻撃しようとしたが、徳川家康と親しかった義重の反対にあい佐竹氏は日和見的な立場を取った。そのため1602年に出羽の秋田20万石に減封される。1603年に久保田に築城を開始し現在の秋田市の基礎を築いた。
【今福の戦い】大坂冬の陣が起こると従軍し、上杉軍と共に豊臣軍の砦を攻略するように命じられる。この今福の戦いでは最初は勝利していたものの豊臣軍の逆襲にあい自らも戦死しそうなほど苦戦し、上杉軍らの助けを得て何とか追い返している。1633年1月25日死亡。
管理人・・・義宣は非常に義理堅い武将で三成には度々世話になっていたので(1597年に改易されかかった時に助けてもらっています)、必死になって助けています。 参考文献:三百藩藩主人名事典・戦国人名事典 コンパクト版・大坂の役・戦国大名諸家譜・秋田人名大事典 UPDATE 2003年11月19日 Copyright (C) 2003 Tikugogawa. |
≫
人物一覧≫
【人物の紹介】→
次の武将
|