仁淀川の戦い

長宗我部軍:吉良親貞(三千?)
敵:津野勝興一条兼定連合軍(?+三千)

 1569年、安芸国虎を滅ぼした長宗我部元親は西に目を向ける。同年11月に吉良親貞が仁淀川を越えて蓮池城を、翌年には戸波城を奪い取り一条兼定の領地を侵し始めた。
 1571年、兼定の傘下にあった土佐姫野々城主・津野勝興は元親との全面対決を決意。勝興は兼定に援軍を依頼すると、戸波城に軍勢を進める。津野軍が名古屋坂で長宗我部軍を破り戸波城を奪い取ると、そのまま蓮池城に迫ったため、長宗我部軍は蓮池城を放棄して吉良城まで撤退した。
 やがて長宗我部軍には元親の援軍二千が、津野軍には兼定の援軍三千が到着し仁淀川を挟んで対峙。弓・鉄砲での戦いはあったものの川を渡っての決戦には至らなかった。そのため元親は親貞に任せて帰陣する。

 膠着状態が続いたある日、兼定の家臣・土居治部が衰退する土佐一条氏を見限って元親を頼って出世しようという野心を抱き、長宗我部軍に内通して自陣のある蓮池城に火を放った。これに乗じた親貞が川を渡って攻撃を開始したため、津野・一条連合軍は大混乱となり敗走。蓮池城を奪い返した親貞は戸波城に迫ると、勝興は元親へのこれ以上の抵抗は無理だと悟り降伏している。
 戦いのあった年の違いや、そもそもこのような合戦があったのか疑問視する説もある。

高知県土佐市蓮池にある土佐蓮池城
土佐蓮池城
UPDATE 2012年2月22日
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