長宗我部元親(1539〜1599年)

官位・通称:宮内少輔・土佐守・土佐侍従
 幼名・弥三郎。長宗我部国親の長男。1560年、国親の死去に伴い家督を継ぐ。本山氏・安芸氏など土佐の国人を次々と屈服・滅亡させ、土佐一条氏の領地も傘下に収める。1575年に土佐東部の抵抗勢力を滅ぼして土佐を統一した。
 同年の阿波侵攻を皮切りに、四国全土に出兵する。1585年には四国のほぼ全土を手中に収めるが、同年の豊臣秀吉による四国征伐で土佐一国のみの領有を許される。その後は秀吉のために尽くす。1586年、豊後に出兵するが戸次川の戦いで大敗。長男・信親を失う。小田原征伐、朝鮮出兵に参戦。1599年5月19日、京の伏見屋敷にて死去。法名・雪蹊恕三大禅定門。
 分国法として有名な『長宗我部元親百箇条』を制定、寺社の復興を行なうなど、政治・文化の両面で新しい土佐の形成に貢献した。

高知県高知市長浜の天甫寺山麓にある元親の墓
元親の墓
UPDATE 2010年12月15日
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