一条兼定(1543〜1585?年)

官位・通称:権中納言
 一条房基の子。土佐一条氏5代目当主。幼名・万千代丸。前妻は宇都宮豊綱の娘。後妻は大友宗麟の娘。父・房基が1549年に亡くなると跡を継ぐ。幼少のため京一条家の房通が引き取り養育。1556年に帰国した。
 長宗我部元親と共に本山氏を攻め蓮池城を奪い返し、伊予では大友宗麟に呼応して度々攻めている。しかし1568年に毛利・河野・西園寺氏と戦った鳥坂峠の合戦で大敗。1569年には親族の安芸国虎が元親に滅ぼされ、次第に家中は混乱する。
 1573年に出家し、翌年には豊後に追放され、領地は元親が実質支配をした。しかし1575年に豊後・伊予の兵を率いて失地回復のため幡多郡に侵入。だが渡川の戦いで元親に敗北し、戸島に逃れる。1585年7月1日、熱病のため死去。

兼定が逃れた愛媛県宇和島市戸島
戸島
UPDATE 2011年12月12日
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