大隅の腰抜け

 天王寺・岡山での最終決戦毛利勝永真田幸村が奮戦したために徳川軍の旗色が悪くなった。この有り様をみた徳川秀忠は自身も戦闘に加わろうとしたが、大平角助という甲賀者が秀忠の馬の口に取り付いて放さない。秀忠は角助に対していろいろ言ったが、いっさい返事をせず、ずっと押さえていた。そこに本多正信が駆けつけた。
「よい働きをした」
 角助を褒めた後
「(大局的には)これほど味方が勝利している状況で、自身で手を下される必要はありません」
 と秀忠を諌めた。そして三男・本多忠純を呼びつけて怒鳴りつけた。
「日ごろお前は勇猛さを自画自賛してるのに、今日の臆病は何事だ。腰が抜けて立てないのか」
 そしてすぐに孫の本多出羽守に目配せをして「敵にかかれ!」と大声で命令したため、誰もが敵にかかっていった。(『山本豊久私記』)

岡山口周辺
現在の岡山口周辺

感想など
雲龍斎秀就さん・・・正信、、、悪く言われてますがやはり冷静ですね。さすが武人という感じです。正純にもこのような性格があれば、、、と思います。

UPDATE 2005年7月8日
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