本多忠純

(ほんだただずみ)

生没年:1586〜1631年/ 身分:下野榎本1万石の大名/ 官位(通称、号):大隅守

忠純の墓
栃木県栃木市大平町榎本880の大中寺にある忠純の墓

 本多正信の三男。幼少より徳川家康に仕え、1605年に下野榎本1万石を与えられる。大坂の陣に従軍し天王寺・岡山での最終決戦で首級217を挙げ、その功で下野皆川に1万8千石を加増され皆川に移った。1631年12月13日に家来の大助に刺し殺される。法名・善伯。栃木県下都賀郡大平町の大中寺に葬られた。

管理人・・・刺し殺された理由は以下のとおりです。忠純は勇猛な武将だったのですが短気で家臣が少し失敗してもすぐ手討ちにするなどしていました。そのせいで江戸から領地への帰りに、何かで失敗をした大助が手討ちにされることを恐れて行動に出てしまったそうです。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2004年4月7日
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