小笠原親子、戦機を逃す

 若江の戦いの際、小笠原秀政忠脩親子は藤田信吉と酒宴をしていた。その時に木村重成井伊直孝が戦っていたことを聞いて無念に思い、親子揃って翌日の天王寺・岡山での最終決戦で討ち死にした。
 実は酒宴の最中に小笠原家の家臣、保高新左衛門、二木庄三衛門、小笠原隼人、小笠原主水の4人は秀政に出馬を勧めたが、重信が出馬を止めていたのだ。その後、秀政と重信は出陣したがすでに重成の手勢は城に引き上げたあとだった。そのため4人のうち3人は翌日の戦いで討ち死にしている。(『武功雑記』)

八尾市西郡
現在の八尾市西郡

管理人・・・重信が出陣を止めたのは、もうちょっと飲みたかったから…ではなく、まだ機は熟してないとでも思ったのでしょう。

UPDATE 2013年4月15日
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