糞でも食らえ

 長宗我部盛親の家臣に廿牧勘解由という者がおり、八尾の戦いで奮戦したが、井伊軍の側撃で長宗我部隊が敗退し、勘解由も槍を引きずって退却した。
 その時、藤堂高虎の母衣頭・名村石見が
「我と勝負せよ」
 と罵った。しかしここで戦っても犬死と思った勘解由は相手にしなかった。
「おのれは糞でも食らえ」
 そう叫んでそのまま勝負せずに逃げた。しかしこのやり取りを見た勘解由の娘婿・伊尾木権兵衛は我慢ならなかった。
「我と勝負しろ」
 勘解由の槍を奪って引き返した。だが、石見はひねくれた性格だったのか別の長宗我部兵のところに行き、その者を討ち取った。勘解由と権兵衛は味方を助けようとしたが、大軍が見えたため、仕方なく退却した。

常光寺
八尾の戦いで激戦地となった八尾市本町5−8−1にある常光寺

 後日、藤堂家の家臣・掘信家がある人に
「今はどんな浪人と交際があるのか」
 と聞いたところ、廿牧勘解由の名を出した。そしてその人物が八尾の戦いでのことを話すと、信家は手を打って感激。
「その事はいつも石見が語っていた。『我に糞を食わせて退却した者がいる』と。本当のことだったのか」
 そして
「その人を呼ぶわけにいかないか」
 と頼んだところ、勘解由を呼び信家も石見を呼んで、4人でその時の事を話して大笑いした。そして酒を飲んで話しをして別れた。それ以降4人は親しく交わっている。(『備前老人物語』)

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